読書がくれる"なにか"の価値


一般財団法人出版文化産業振興財団(JPIC)

理事長  肥田美代子


 平成29年の新春を迎え、お慶び申し上げます。
 本年が、皆さまにとりまして、実り多き1年となりますよう、心より祈念いたします。
 毎年、年末年始になりますとこの1年にはどんなことがあったのかと振り返りますが、昨年、多くの方々の印象に残っている出来事は、リオ・オリンピックとアメリカ大統領選挙ではなかったでしょうか。
 リオでは、日本人選手が躍動し史上最多の41個のメダルを獲得し私たちを元気づけてくれました。次の東京オリンピックに大きな期待を抱かずにはいられません。開催準備にはいろいろと課題も残されているようですが、ひとつひとつ解決し、世界中から来日される選手や関係者、観戦・観光客に「おもてなし」の心をもってお迎えしたいものです。
 一方、アメリカ大統領選挙では、大方の予想を覆して、これまで政治経験のない実業家ドナルド・トランプ氏が当選を果たしました。「アメリカン・ファースト」を掲げ、メキシコとの間に国境の壁を築くですとか、TPP離脱など保護主義色の強い主張が、中低層の人々に受け入れられたのは、イギリスのEU離脱の国民投票で離脱派が勝利を収めたことと重なります。日本を含めた先進各国にも同様の傾向が強まるのか、注視しなければなりません。
 出版界に目を転じますと、売上げの下落傾向が20年続いたうえ、下落幅が増しているのが本当に心配です。平成8年に2兆6千億円超あった出版市場は、1兆5千億円を切るまでに縮小してしまいました。
 そのような環境下で、戦後の出版文化産業を支えてきた流通システムにも大きな変化が表れています。日本出版販売、トーハンに次ぐ第三局としての大阪屋栗田の発足、太洋社の廃業、さまざまな業務での協業化、系列化などが見られます。出版の多様性や公平性を担保する委託制や同一地区同日発売などはきめ細やかな日本の取次業務があったからこそです。今後も、読者と多様な出版物が出会う魅力的な書店店頭が、全国で私たちを待っていてくれることを願っています。
 一方、デジタルデバイスによる書籍や雑誌の定額読み放題など、出版コンテンツ販売の多様化も進んでいますが、こうした新たな、ビジネスモデルや読書スタイルが定着するのかはまだまだ不透明です。ただ、作家や編集者が精魂込めて作った作品が、作り手の意に反して安売りされたり、読み飛ばされたりせず、敬意と愛情をもって扱われることを願っております。

漱石が100年後の私たちにパスしたもの
 昨年は、文豪・夏目漱石が亡くなって100年目に当たりました(ちなみに、今年は漱石生誕150周年です)。JPICでは、没後100年記念事業として「ゆかいに漱石 ~100年読まれ続ける魅力を探る~」(全4回講演)を漱石とゆかりの深い朝日新聞社と岩波書店と共催いたしました。
 それぞれの講演には、"漱石ファン"を自認される脳科学者の茂木健一郎さん、東大名誉教授で政治学者の姜尚中さんと映画監督の西川美和さん、医師で作家の夏川草介さん、明治大学教授の斎藤孝さんにご登壇いただきましたが、共通していたのは「漱石作品は世界文学の最高峰」「100年以上前の作品が、今も平易に読める言葉で、かつ高いレベルで書かれているのは奇跡」「漱石を読まないことは、人生の損失」などなどです。とくに茂木さんの若い聴衆に向けた、「漱石は、100年以上前に、日本よりも格段に国力の大きかったイギリスに留学し、世界レベルのベスト&ブライテストに接してしまった。その漱石が帰国し、文学で近代日本の先生となった」旨の言葉は、漱石作品の魅力にとどまらず、文学の力や、若者が世界に飛び出して様々な経験をすることの重要性までも包含した熱いメッセージとして、強く印象に残っています。
 世界には読むべき(もっと「読まなければならない」というべきでしょうか)古典・名作がたくさんあります。読まれ続ける作品には、読まれ続ける魅力と理由があります。
 世界中の知的エリートやリーダーは、そうしたものを読み、"なにか"を学び、自身の判断や行動基準の指針としています。それは歴史的な知的財産であり、自身の体験だけでは及ばない深く広い思考の扉を開いてくれます。
 しかし、前述した日本の出版市場の急激な縮小をみると、日本人は「読むべき作品を読んでいるか。歴史的な知的財産から学んでいるか」と不安になります。
 欧米先進国では、日本のような出版市場の急激な縮小は見られません。これは、インターネットやSNS全盛の時代となっても、読書の価値は減じていないことの証左でもあります。では、この彼我の差は何なのでしょうか。
 日本の出版ビジネスを新しくしなければならないという声も聞かれますが、私は、それ以上に、価値ある作品への敬意や、読書の目に見えない"なにか"への評価をしっかりと確立することだと思います。
 日本は識字率が高いが故に、イコール「文章を読み解く力や楽しむ力」も高いと思いがちですが、その両方は必ずしも一致しません。昨年発表された国際的な学力調査(PISA)では、日本の高校1年生の読解力は国際比較で確実に低下しています。
 私たちは、家庭や学校で、読書の楽しさや重要性をもっともっと子どもたち(大人にもですね)に伝えなければなりません。多様な作品を楽しく読むことができれば、子どもたちは、考える力や他人を思いやる力、生きる力、さらには"なにか"を育みます。
 子どもたちがそんな読書体験を積むことで、次の世代にも古典・名作を手渡し、きっと2116年には、漱石没200周年記念事業が"ゆかいに"行われることでしょう。願わくば、その主催者の一員としてJPICも加われれば、読書推進団体としてこの上もなく幸せなことです。

 今年も1年、読者や出版業界の皆様とともに、読書の魅力を伝える活動に取り組めますよう、いっそうのご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。

以上

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